夏草や兵どもが夢の跡

夢の跡を鳥辺野で供養しています。

戦争と仏教者、翼賛の内面をトレースする

東真行「聖徳太子と日本主義――金子大榮を中心に――」(石井公成監修『近代の仏教思想と日本主義』法藏館、2020年)読了。勉強になりました。

 

十五年戦争」期から盛り上がる、「日本精神」と聖徳太子のブームですが、金子大榮という仏教学者が、単に国策に迎合した側面からのみとらえるのではなく「日本」と仏教を聖徳太子を媒介としてどのように和解させようとしたかその内在的考察を行っています。

 

具体的内容は仏教のド素人たる私には語る資格がないのですっ飛ばします。

結局「天皇制国家への心情と仏教における「自覚」との和解を求める中で聖徳太子の存在は重要」であったようです(pp. 136-137)。

 

ただしこれで終わるのではなく、このような内在的考察の意義として、我々の現前に今日も無数に存在する「現状追認」を自らの課題とし得るかどうかに言及しているのは興味深いですね。ただし、特に31年や37年(『国体の本義』)以降、数多の知識人が「現状追認」していきますが、それを内在的にトレースする意味って何なのでしょうね。「転向論」にせよ、それらを読んでも私はよくわかっておりません。葛藤の跡が見えない人は取り上げる意味がないのでしょうか。

 

ただ、本稿では以下のように結ばれています。

「金子が抱えた「自覚」と社会、国家がいかに関係すべきかという問いは現代の仏教者にとって、なおも課題となるに違いない」(p. 137)。

ごちそうさまでした。