蠟山政道と並んで日本の行政学の草分けである田村徳治(1886-1958)に関する先行研究は極めて少なく、管見の限り同世代(蠟山)または一世代下(辻清明、長濱政壽、吉富重夫ら)の行政学者によって書かれたものしか存在しない。その一因としては、蠟山政道及び辻清明の以下のような言が適当であろう。
まず、蠟山曰く、
人生目的から一般人類の課題に於いて行政の公共的意義を解明しようとする田村
教授の方法論は、一種の理想主義的人生観より導入せられたもので、それ自体我々
の経験を超越した論証であって、それを教授が自明であると云う意味は必ずしも反
対し得ないところであると共に賛成も為し得ないところである。従って、教授の学
問的意義に於ける行政の概念は経験科学的方法に於ける行政の概念ではない[1]。
続いて、辻曰く、
田村には、いささか造語癖があると見えて、その著書には必要以上に主観的用語
が多く、またその独自の文体は、他者をして、とかくかれの行政学から敬遠させる
傾向がないではない。また、どういう理由か、その著書には、註記がないため、田
村行政学を規制している思想的要因を詳細に究明することがむずかしい。田村が方
法論を重視する新カント派の強い影響をうけていることは、周知のところである
蠟山と辻の指摘することは後述する田村による行政学の定義から見ても、その一端が窺い知れるだろう。
行政学は、人類の生々発達を遂ぐるに直接に必要なる、一切の行為に関する学問
であって、而して法律学は、人類の生々発達を遂ぐるに適すると一般に思惟せら
さらに、
行政とは、公共の事務、従って主として団体殊に国家に関連する事務の処理を謂
ふと為すを得べく、而して行政学とは、其の行政を対象とする学問を謂ふと為すを
得ると思ふ[4]。
とのように行政学を定義する。そして、ここでいう「公共」とは単なる共同の意味ではなく、「人生目的と関連せしめて理解すること」であって、さらにその人生目的と関連付けて「生々発達」という言葉が出て来る。ここでいう「生々」とは円満かつ健全という意味である。「発達」とは「価値的に高まり且成るべく多く多くの価値を包容する」、つまり「簡単から複雑へと変化する自然必然的な過程に成るべく多くの価値を織り込み、そしてそれらの一々の価値において、その質を高め行くこと」である。これすなわち、「人類全般をして完全にその向上発展を遂げしめること」である[5]。
[1] 蠟山政道『行政学原論第一分冊』日本評論社、1936年、122頁。
[2] 辻清明「日本における行政学の展開と課題」辻編『行政学講座(第1巻)行政の理論』東京大学出版会、1976年、327頁。
[3] 田村徳治『行政学と法律学』弘文堂書房、1925年、143頁。
[4] 田村徳治『附録 行政学の発達の歴史と、其の方法論的研究の必要』田村『行政学と法律学』所収、27頁。
[5] 田村徳治『行政機構の基礎原理』弘文堂書房、1938年、3-5頁。
今回は田村行政学のごくごく簡単な定義について触れてみました。(ニーズがあれば)次回以降は彼の行政学に意義を見出すとしたらそれは奈辺に存するか、考えてみようと思います。