夏草や兵どもが夢の跡

夢の跡を鳥辺野で供養しています。

田村徳治の行政学(2):「一体性の危機」と「田村行政学」

 辻清明は1962年に、行政学の課題として、行政過程で自由裁量や政策決定を行う範囲が拡大している中では、手段の選択においても、価値判断が当然導入されてくることを考慮して政治と行政を截然と区別する態度に疑義を呈した[1]。また、行政における価値の問題を提起し、行政における最高価値を「公益」(public interest)とする。特に、行政の扱う範囲の増大および文化的環境的理由によって、変動する公益の概念、特定の利益集団がもつ価値、一定の時点における行政組織が掲げる価値への考慮が必要になる。そこで「特定の価値的態度」をとる必要がでてくる[2]

 このような指摘と田村行政学の関連といえば、まずは「公益」や「公共」の観念が行政学にとって重要な課題であることで、これは田村自身や蠟山が指摘していたところである[3]。さらに、辻は、1956年の『行政学講義(上巻)』で「機能的行政学」を取り上げる[4]。「機能的」とは辻によれば、これは行政を、政治の形成過程と無関係に単なる技術的過程として捉えるのではなく、行政が社会の公共事務管理の機能を内在させることで、それが社会的効果を発揮して、政治権力そのものが正当性を有するといったように、政治と行政を密接に関連したものとして考える。これすなわち、行政学の対象が、技術過程としての行政過程のみならず、政治性と社会性において機能を発揮する行政過程となる。より進んで言えば、行政の存在理由が(技術的な)「手段と方法」の処理においてではなく、「目的と価値」を決定する、結びつくという意味において認められるのである[5]。言い換えれば、行政は積極的な計画による社会価値の実現という機能をもち、それを政治に内在させることで政治の正当性を担保する、ということであろうか。そして、「民主主義を原理とする政治と能率を原理とする行政の調整の問題にも深く立ち入っている[6]」。この「機能的行政学」に近似した立場として田村徳治を取り上げる。

 上記を総合すれば、行政における価値の問題を考える上で田村行政学は決して無視できないのではなかろうか。さらに進んで、吉富重夫はこう述べる。

 

実証的なものを代表するアメリ行政学においても、何が公共の利益であるかは、現代行政学の焦点の一つであるが、そして数多くの論説が発表されているが、そこには共通利益の振幅によって公共性を決しようとする傾向が認められる。何らかの具体的行動原則を導き出そうとするかぎり、利益の質よりは量が問題とされるのは当然であるともいえるのであるが、単なる量的基準が、公共性という質の原理を決定しうるものでないことは明白である。このような根元的な反省をすすめて行く上において、田村博士の概念規定は、その向うべき方向をさし示しているといえるのである[7]

 

 この吉富の言で注目すべきは、「アメリ行政学においても、何が公共の利益であるかは、現代行政学の焦点の一つである」という言であり、実際にアメリ行政学会(ASPA)は1970年に“Social goal”を検討するタスクフォースを組織している。

 同様に、田村行政学アメリ行政学の流れと結びつけたのが辻であった。辻はワルドー(D. Waldo)のプロフェッショナル・アプローチやオストロム(V. Ostrom)(やクーン)のパラダイムの概念を念頭に置きながら[8]、「行政学の理論的一体性が〔中略〕ある学問的関心ないし理念に基づく論理的整合の充足という観念から見れば、田村行政学を、現代の行政学の形成に再生させることも可能である[9]」と一定の評価をしている。上記の吉富の言は1973年、辻の記述は1976年のもので、当時のアメリ行政学は「一体性の危機」に直面していた。

 これらを総合すると、「一体性の危機」という行政学アイデンティティ・クライシスに直面して、そのディシプリンを定義する上での(緩やかな)方向性、追求すべき価値を探し出そうとしたときに、先駆的にこれらを指し示していた田村行政学の存在が顧みられたのであろう。とはいえ、実際に顧みられたのではなく「思い出された」程度なのであろう。実際に、1970年代以降、田村行政学はほぼ触れられていない。

 ただし、真渕勝は「もし、官房学やシュタインの行政学を現代に活かせる研究が現れれば、それは過去と現在を架橋することであり、行政学の内容をますます豊かにさせるであろう[10]」と一般論として述べるが、長濱が『行政学序説[11]』でシュタインの行政学の直後に田村行政学の概説を配置し、その連関を強調したことが想起できるかもしれない。長濱は生前にそれまでの論文をまとめて『現代国家と行政』と題する本を出版する心づもりだったが(結局、死没により叶わず)、『法と政治』に掲載された田村行政学についての論文も収録される予定で、今際の際まで田村行政学への関心を棄てることはなかった[12]

 

 

 

 

[1]清明「現代行政学の動向と課題」『年報行政研究』第1号、1962年、29頁。

[2] 同上、22頁。

[3] 同上、31頁。

[4] 「機能的行政学」と銘打っている例は極めて珍しいように思う。

[5]清明行政学講義(上巻)』東京大学出版会、1956年、29-30頁。

[6] 真渕勝『行政学』(有斐閣、2013年補訂版)533頁。この言は、ウィルソン(Woodrow Wilson: 1856-1924)と並んでアメリ行政学創始者とされるグッドナウ(F. J. Goodnow: 1859-1939)の行政学を説明したものである。真渕自身は「機能的」という言葉を用いていないが、辻はグッドナウをもって「機能的行政学」の嚆矢としている。(辻前掲『行政学講義(上巻)』32頁)。

[7] 吉富重夫「田村徳治博士の行政学」『年報行政研究』第10号、1973年、306-307頁。

[8] 今里滋「現代アメリ行政学の展開とその「一体性の危機」」『法政研究』50巻2号、1984年。大森弥「行政学にたいするプロフェショナル・アプローチ ―アメリ行政学の一動向―」『年報行政研究』第10号、1973年。ワルドーおよびオストロムの理論についてはさしあたりこの二論文を参照した。

[9]清明「日本における行政学の展開と課題」辻編『行政学講座(第1巻)行政の理論』東京大学出版会、1976年、329頁。

[10] 真渕前掲『行政学』513頁。

[11] 長濱政壽『行政学序説』有斐閣、1959年。

[12] 村松岐夫「長濱先生の最近の学問的関心について」故長濱政壽教授追悼文集刊行委員会『長濱政壽を偲ぶ』(私家版、1972年)191頁。

田村徳治の行政学(1):その難解な用語法

 蠟山政道と並んで日本の行政学の草分けである田村徳治(1886-1958)に関する先行研究は極めて少なく、管見の限り同世代(蠟山)または一世代下(辻清明、長濱政壽、吉富重夫ら)の行政学者によって書かれたものしか存在しない。その一因としては、蠟山政道及び辻清明の以下のような言が適当であろう。

 

まず、蠟山曰く、

 

   人生目的から一般人類の課題に於いて行政の公共的意義を解明しようとする田村       

  教授の方法論は、一種の理想主義的人生観より導入せられたもので、それ自体我々  

  の経験を超越した論証であって、それを教授が自明であると云う意味は必ずしも反  

  対し得ないところであると共に賛成も為し得ないところである。従って、教授の学  

  問的意義に於ける行政の概念は経験科学的方法に於ける行政の概念ではない[1]

 

続いて、辻曰く、

 

   田村には、いささか造語癖があると見えて、その著書には必要以上に主観的用語

  が多く、またその独自の文体は、他者をして、とかくかれの行政学から敬遠させる

  傾向がないではない。また、どういう理由か、その著書には、註記がないため、田

  村行政学を規制している思想的要因を詳細に究明することがむずかしい。田村が方

  法論を重視する新カント派の強い影響をうけていることは、周知のところである

  が、行政学の体系については判らない[2]

 

蠟山と辻の指摘することは後述する田村による行政学の定義から見ても、その一端が窺い知れるだろう。

 

   行政学は、人類の生々発達を遂ぐるに直接に必要なる、一切の行為に関する学問  

  であって、而して法律学は、人類の生々発達を遂ぐるに適すると一般に思惟せら  

  るゝ、特定の規範意識を対象とする学問であった[3]

 

さらに、

 

   行政とは、公共の事務、従って主として団体殊に国家に関連する事務の処理を謂  

  ふと為すを得べく、而して行政学とは、其の行政を対象とする学問を謂ふと為すを

  得ると思ふ[4]

 

とのように行政学を定義する。そして、ここでいう「公共」とは単なる共同の意味ではなく、「人生目的と関連せしめて理解すること」であって、さらにその人生目的と関連付けて「生々発達」という言葉が出て来る。ここでいう「生々」とは円満かつ健全という意味である。「発達」とは「価値的に高まり且成るべく多く多くの価値を包容する」、つまり「簡単から複雑へと変化する自然必然的な過程に成るべく多くの価値を織り込み、そしてそれらの一々の価値において、その質を高め行くこと」である。これすなわち、「人類全般をして完全にその向上発展を遂げしめること」である[5]

 

[1] 蠟山政道『行政学原論第一分冊』日本評論社、1936年、122頁。

[2]清明「日本における行政学の展開と課題」辻編『行政学講座(第1巻)行政の理論』東京大学出版会、1976年、327頁。

[3] 田村徳治『行政学法律学』弘文堂書房、1925年、143頁。

[4] 田村徳治『附録 行政学の発達の歴史と、其の方法論的研究の必要』田村『行政学法律学』所収、27頁。

[5] 田村徳治『行政機構の基礎原理』弘文堂書房、1938年、3-5頁。

 

 

 

 今回は田村行政学のごくごく簡単な定義について触れてみました。(ニーズがあれば)次回以降は彼の行政学に意義を見出すとしたらそれは奈辺に存するか、考えてみようと思います。

三牧聖子『Z世代のアメリカ』(NHK出版新書、2023年)

三牧聖子『Z世代のアメリカ』(NHK出版新書、2023年)。

 

 ようやく積読を読み終えました。積んでいる間、帯の三牧先生と何度も目が合い気まずい思いをしました。ちなみに、裏表紙も三牧先生の写真があるので逃げられません笑

 

 さて、書評みたいなことは書けないのは予めご承知おきください。

 そもそも本書に書かれている様々な固有名詞は日本語メディアではほとんど目にすることがありません(私の知識不足の可能性有)。例えば、オバマ政権下でのドローン攻撃で重傷を負ったというパキスタン人の「ファヒーム・クレシ」氏(本書、130頁)。私がGoogleで「ファヒーム・クレシ」と入力して検索してもそれと思しきものは二件だけで、どちらも三牧先生の論考でした。あくまでも一例ですが。やれトランプだの、やれバイデンだの。何かある度に為政者に注目が集まって賛否入り乱れる中で、「政治」において実際の人びとの生活がどうなるか、「政治」から零れ落ちた国内外の人はどうなるのか、そういった地に足を付けた想像力をもつことの大切さを本書は一つのモチーフとしているように思えました。

 

 

 

以下、書きなぐり。

「制限された言論空間を当然ものとして育った中国のZ世代は、その前の世代よりも外国に対する不信感やナショナリズムを強く持つとも指摘されている」(98頁)とありますが、それは中国のSNSをやっているザラザラな肌感覚としてもそうですね。大衆的かつ若者に人気のSNS小紅書(インスタグラム的な感じです)では、日本人が書き込むと罵倒の言葉が飛び交ったり、そういう光景を目にすることもあります。私自身もコロナ禍で中国の友人から「日本は中国人を締め出している。ビザも出していない。外務省に聞いてみろよ」という完全なフェイクニュースで糾弾されたこともあります(ちなみに言われた通り外務省に問い合わせたり、上海日本総領事館のweiboを示したのですが結局ブロックされました)。「反日ナショナリズム」とするのは些か短絡的ですが、一つの例示として。また、その方はヨーロッパで修士号を取っているので別に学歴は関係なさそうです。そんな個人的体験はどうでもいいのですが、まさに「小粉紅」という中国語こそ中国のZ世代を表すにふさわしい言葉ではないでしょうか。(気になる方はググってみてください)もちろんそういう人ばかりではないことを付言しておきます。

 

 「中道であることの難しさ」(177頁)を読んでいて、中道という言葉は往々にして価値中立的印象を与えるにもかかわらず、ハリスのいう「中道」というのはかなり価値にコミットしているのではないかと。しかし、進歩的な人からだと価値へのコミットメントが足りないと指弾されるのでしょうね。私にはハリスの「中道」は手段で、その先に実現したい「価値」があるのではないかと思います。その点で「中道」というか「穏健」というような印象ですね。

 

 ほかにもいろいろ考えることはありますが。ごちそうさまでした。

 

「堀江保蔵名誉教授に聞く」(『経済論叢』第135巻第4号、1985年)

「堀江保蔵名誉教授に聞く」(『経済論叢』第135巻第4号、1985年)読了。

PDFは

repository.kulib.kyoto-u.ac.jp

 

堀江保蔵さんに関心を持ったのは、アメリカ研究の斎藤眞さんが「戦前、戦時下のアメリカ研究者は、高木八尺は勿論だけれどもその他にもいろいろいますよ」といった文脈で書いたときに挙げられた一人に堀江がいたからです。

 

堀江は1937年に『アメリカ経済史概説』を有斐閣から出しますが、本業は日本経済・経営史です。本庄栄治郎門下では日本ともう一つの国をやることが多かったようです。

当該書はいずれ手に入れて読んでみたいですが、彼のアメリカ研究についてはこのオーラルではほぼ触れられていませんでした。

 

それで下らないことですが、敗戦と同時に京大経済学部教授陣が総退陣した事件について、堀江は経済学部内の派閥争い、それも保守派と進歩派ではなく、進歩派内部の争いであったのではないかと推測しています。

ここでいう、「保守派」や「進歩派」が誰にあたるのか調査の必要がありますが、一つ思い出すのが蜷川虎三がその自伝で自分たちの行った総退陣について(紙幅は殆ど割いていないものの)高く評価していることですね。

 

こういった人事の話はどうしても興味をもってしまいます。

 

ごちそうさまでした!

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

安部磯雄のアメリカ留学に思うこと

宮本盛太郎『宗教的人間の政治思想――安部磯雄と鹿子木員信の場合――(軌跡編)』(木鐸社1984年)読了。

 

文字通り、本書は「軌跡編」で著者の意図する「研究編」の前段階としての「資料編」です。そのせいもあってか、やはり引用が多く、読み物としての流れはそうスムーズではありません。ただし、資料は資料として、様々な事実が摘記されており考えさせられました。

 

そもそも本書は安部磯雄の明治期と鹿子木員信の思想を俎上に載せたものです。

その意図としては両者とも、内村鑑三をはじめとしたキリスト教に強く惹かれたことにあります。

鹿子木の戦時中の言動を見ているとキリスト教に惹かれたとは意外でした。このことは別記事に譲ることとして、今回は安部磯雄について。

 

あの時代の社会主義者片山潜然り19世紀末にアメリカに行っていますよね。

そこで注目すべきは当時のアメリカのソーシャル・ゴスペル運動の社会改良主義から学ぶことが多かったところでしょう。ラウシェンブッシュあたりは宗教家として捉えられましょうが(たぶん)、本書にはそれだけでなくウィスコンシン大学のイーリー(Ely)との接点も挙げられています。

 

イーリーは、安部だけでなく、新渡戸稲造の思想形成にも影響を与えた革新主義者で、

本書では両者ともキリスト教の文脈で描かれています。ただし、「革新主義」的思想が必ずしもキリスト教に基づいたものとは思えず、そのあたりの日本への影響というのはあまり論じられていないのではと思います。(試論的なものとしては湯浅拓也先生の青学での2020年度博士学位請求論文参照)

 

ごちそうさまでした!!

 

 

 

 

 

 

 

 

 

百瀬宏先生の回顧

百瀬宏「江口朴郎「巻頭言」に寄せて」(『国際関係研究所報』第50号、2015年)(

https://www2.tsuda.ac.jp/kokken/50momose.pdf)読了。

 

百瀬先生のフィンランド史の研究歴が回顧的に書かれています。百瀬先生って国関ご出身で江口朴郎先生門下だったのですね。

その時の江口先生との思い出話や、山中仁美先生の思い出など、興味深く拝読しました。

ちなみに当時の東大駒場では中屋健一先生がニューディール研究のゼミをなさっていたのですね。(個人的なメモです。)

 

久しぶりということもあり、短めに。

 

ごちそうさまでした!

これなんだ? 井上寿一『矢部貞治:知識人と政治』(中央公論新社、2022年)

井上寿一『矢部貞治:知識人と政治』(中央公論新社、2022年)読了。苦しかったです。

 

文字通り、矢部の生涯を追った作品です。矢部の一生を知るには手ごろかもしれません。

以上です。

 

以下思ったことをつらつらと書いていきます。いちいち該当箇所は明示しませんので批判としては妥当性を欠くでしょうが「感想」としてお読みくださればと思います。

 

そもそも、「あとがき」で、矢部が自らに憑依すると書くほど矢部に憧れる筆者の筆致は矢部贔屓で、客観的な評価を下せているとは思いません。また、順接でつないでいるにもかかわらず順接に値しない独断的な推測が非常に多いです。

全体としては先行研究や『矢部日記』などの公刊史資料を要約しただけで、矢部の思想や行動を内在的に考察した部分はついぞ見当たりませんでした。戦前はカーを翻訳、戦後はリップマンを翻訳していることなどなど考察すべきところは山ほどあると思います。結局は、政治にコミットすることを知識人の使命と考える筆者の理想の上塗りでしょう。

 

内容批判はこれくらいにして、こんな本をだす天下の中央公論新社さまにも複雑な心境です。あとがきを読む限り企画化および(おそらく)編集の担当をなさっている方は敏腕で知られる方ですし、そんな方があんな平板な内容を見抜けなかったとは思えません。

帯を見ても「保守を革新する」とあり、ズレていますね。

 

 

以上です。