夏草や兵どもが夢の跡

夢の跡を鳥辺野で供養しています。

橋桁を叩き壊しながら「架橋」に希望を馳せる

森川輝一「不確かな橋の上で――タクシー運転手と政治思想史研究者の間――」(『創文』516号、2009年)読了。よきでした。

 

 

  世に流れる数多の言葉――耳障りのよい物語から専門家にしか(にさえもよく)分  

  からない理論まで――に安易な橋を架ける必要はないのではないか」〔中略〕思想

  つまりは「考える」という営みに効用があるとすれば、それは頼りない橋桁を揺さ

  ぶり、薄っぺらな橋梁を叩き落すことにあるのではないか。〔p. 35〕

  

 

この言葉が印象的でした。リサーチクエスチョンで「架橋」という言葉をよく目にしますが、非常に逆説的で考えさせられる論考でした。

毎日、世界では悲惨なことが起こる一方で、「辞書を引き引きわけの分からない本を読みジャーゴンを振り回して読み手のいない論文を書くこと、それが私の仕事だ」と諧謔的に筆者は述べるものの、個々の研究者が己が仕事に徹し、時の流れに伴い流され消えてゆく中で本当に意味のある研究は生き残るのではないか。すなわち、「橋はいつか(いつでも)、どこかに(どこにでも)架かる」と言います。筆者の確かな希望が読み取れる良いエッセイでした。皆様も読んでみてください。

 

読者もいないこのブログは時の流れに押し流されるまでもないですが、これだけは言いたい。

「ごちそうさまでした」。