夏草や兵どもが夢の跡

夢の跡を鳥辺野で供養しています。

京大人文研と「共同研究」

高木博志「「日本部」の共同研究の思い出」(『人文』第69号、2022年)読了。よきでした。

 

軽いエッセイです。文章は1980年代半ばに、京大人文科学研究所の共同研究、飛鳥井雅道班の報告を聞いた筆者の思い出から始まります。

東大・京大では戦前は前近代しか卒論テーマが許されなかったなか、「井上清が一九五三年に人文研に赴任してはじめて、京都で日本近現代史研究が学問になったと岩井忠熊は回顧している」。やはり井上清は偉大ですね。今日の歴史研究では忘れられつつありますし、私も全然知らないのですが、彼の『日本の歴史』(岩波新書)は中国で未だに人気だそうです。それはそれでどうかと思いますが……それはともあれ、井上―松尾ラインはすごいですね。

 

話は飛鳥井の思い出に移っていくわけですが、彼は活字になっていない卒論や修論を読んで人材発掘も行っていたそうです。それで、「研究会中に椅子に公家座り、片膝を立ててあぐらをかく飛鳥井の姿が目に浮かぶ」と筆者は回顧するわけですが、公家座りなるものを私は寡聞にして知りませんでした。

 

「職業としての共同研究」を自覚する筆者は最後にこう結んでいる。

  

 

  「日本部」の学の系譜を、私は、史料に基づいて構築する世界のおもしろさ、そし  

  て現代の政治や社会と向き合う中での学問的営為にあると思っている。

 

 

今日こういった「共同研究」は人文研も含めてどれくらい生き残っているのでしょうかね。。

 

ごちそうさまでした。