夏草や兵どもが夢の跡

夢の跡を鳥辺野で供養しています。

京大経済学部助教授(当時)堀江英一による瀧川幸辰への公開批判

これも昔のものの再掲です。
京大経済学部の『思いで草』(1969年)にあった「堀江英一さんが滝川さんを批判する論文をかいて、あの便所の入口(法経新館西)のところに大きく掲示した」と言われる「例の堀江論文」(豊崎稔)を偶然見つけました。まさか堀江英一著作集の月報に収録されているとは。以下、堀江『堀江英一著作集』青木書店、1975年付属の月報付録より引用します。(初出は『学園新聞』1949年6月6日号)
 


  わたし達は、先生の教授のみによる教授会自治論が教授の優越感と若き研究者・学

  生の蔑視のうえに立てられ、さらに国民大衆を劣等視し、人間のそのものを軽蔑す  

  る感情のうえにきずかれているのを感ずるのであります。「学問の自由は教授のみ  

  からなる教授会だけが守るべきであるといわれる場合、法律学者らしくない論理の

  飛躍があるのではないでしょうか?

  先生の教授会自治論が思い上った特権意識自己陶酔的英雄感と人間蔑視のうえに立

  脚しているのを感ずるのはわたし達ばかりでしょうか?

 

 

かなり挑発的な書きぶりですが、学問の自由と教授会自治を無批判に結合させる姿勢を批判するという論点については傾聴すべきところが多いように思います。今日においても教授会というのは(略)

Arthur Alfaix Assis, “Schemes of Historical Method in the Late 19th Century: Cross-References between Langlois and Seignobos, Bernheim, and Droysen,” in Luiz Estevam de Oliveira Fernandes et al. (eds.), Contributions to Theory and Comparative History of Historiography: German and Brazilian Perspectives (Frankfurt am Main:  Peter Lang GmbH, 2015).

読了。よきでした。

19世紀後半に西欧世界と中国や日本で広まった歴史学方法論、特にセニョボス&ラングロア、ベルンハイム、そしてドロイゼンに通底するラインおよびその考察がなされています。

セニョボス・ラングロアは否定しているものの、この三者の方法論にはある程度近似性があり、セニョボス&ラングロアはベルンハイムを参照し、ベルンハイムはドロイゼンを参照していることにもそれは表れています。

ただ、筆者自身が断っているように、そのラインを認識論的に掘り下げることはしていません。(私はそれをやってほしかったのですが……)

結局筆者が言いたいのは、これら三者の業績が特にセニョボス&ラングロアを通じて西欧そしてアジアにも紹介され、歴史学者がアマチュアではないという自意識と、歴史学者相互の同僚意識の醸成に役立ったということのようでした。

また、セニョボス&ラングロアは日本より中国の方でより翻訳が多く行われ、参照されていたようです。日本では1942年が最初の邦訳にもかかわらず、中国では北伐が終わる前からすでに翻訳が出ているようです。

中国での受容については手ごろなものだと、黄进兴​重识穿梭异文化空间的人物があるので読んでみようと思います。

むずかしかった。ごちそうさまでした。

学生諸君には賢明な判断を求める。(令和4年10月18日付告示第7号)

<font size="4"><b>​<a href="https://www.kyoto-u.ac.jp/ja/news/2022-10-18-0">​<font size="4"><b>京都大学 令和4年10月18日付告示第7号</b></font></a>​</b></font>

<h1><font size="2">​​<a href="https://www.kyoto-u.ac.jp/ja/news/2022-06-01-0">令和4年6月1日付告示第4号</a>​のほぼ使いまわしですね。​</font></h1>以下転載します。


<p style="box-sizing: inherit; margin-top: 0px; margin-bottom: 16px; line-height: 1.87; color: #101214; font-family: 'Noto Sans JP', sans-serif; font-size: 15px;">告示第7号</p><p style="box-sizing: inherit; margin-top: 16px; margin-bottom: 16px; line-height: 1.87; color: #101214; font-family: 'Noto Sans JP', sans-serif; font-size: 15px;"> 現在、「10・21集会実行委員会」を名乗り、「10・21京大反戦集会」と称する集会を呼びかけている団体がある。</p><p style="box-sizing: inherit; margin-top: 16px; margin-bottom: 16px; line-height: 1.87; color: #101214; font-family: 'Noto Sans JP', sans-serif; font-size: 15px;"> 京都大学は、学生の自主的な活動について、直接関与するものではない。
 しかし、本学構内において学内ルールを無視して共用スペースを無断で占有する行為や拡声器等を使用して大音量を発する行為などの迷惑行為により、本学の平穏な教育研究環境を妨害することは、断じて許されるものではない。
 京都大学はこれらの行為には法的措置も含め厳正に対処する。</p><p style="box-sizing: inherit; margin-top: 16px; margin-bottom: 16px; line-height: 1.87; color: #101214; font-family: 'Noto Sans JP', sans-serif; font-size: 15px;"> 上記の団体は、本学ウェブサイトにおいて、「吉田南1号館の封鎖について(2015年10月28日)」として掲載している吉田南1号館の封鎖に関わった、中核派全学連全日本学生自治会総連合)と関係する団体と考えられる。</p><p style="box-sizing: inherit; margin-top: 16px; margin-bottom: 16px; line-height: 1.87; color: #101214; font-family: 'Noto Sans JP', sans-serif; font-size: 15px;"> 本学学生には、この集会に関わらないとともに、車道・歩道の通行の妨げとならないように注意を促すものである。</p><p style="box-sizing: inherit; margin-top: 16px; margin-bottom: 16px; line-height: 1.87; color: #101214; font-family: 'Noto Sans JP', sans-serif; font-size: 15px;"> 特に、新型コロナウイルス感染症の感染の再拡大を防ぐため、多数の人間が集まる状況は回避すべきであり、学生諸君には賢明な判断を求める。</p><p style="box-sizing: inherit; margin-top: 16px; margin-bottom: 16px; line-height: 1.87; text-align: right; color: #101214; font-family: 'Noto Sans JP', sans-serif; font-size: 15px;">
令和4年10月18日
京都大学</p>

日中両国の戦後を代表する知識人対談

近藤邦康「一九八九年三月二〇日 丸山眞男・李沢厚対談」(『東京女子大学比較文化研究所附置 丸山眞男記念比較思想研究センター報告』第十号、2015年)

 

19893201430分から18時まで、岩波書店旧館丸山研究室で、丸山眞男と李沢厚の間で行われた対談の記録です。

李さんは昨年亡くなったことでニュースになりましたね。(余英時さんとそう変わらない時期に亡くなりましたね…個人的に両者の関係が気になるところです。ご存じの方がいたら教えてください。)

それはともかく、美学論などで「文化熱」を牽引したトップランナーでしたね。

 

そんな日中両巨頭の対談ということで大変興味深く読みました。

驚いたこととしては、丸山は馮友蘭を原書の中国語で読んでいたのですね。旧制高校時代の教育が活きたのでしょう。

 

さて、私は「対談」を読みたかったのですが、丸山が喋りすぎです(笑)

ただ、やはりさすが丸山で、新中国がマルクス主義をその根幹に採用したことを評価するところは特に読みごたえがありました。要は「普遍的世界観」を通って、「特殊性を絶対化しないで、相対化すべき」だそうです。それによって「新しい文化を基礎づける」ことができます(p. 112)。これが自己相対化の要諦であり、丸山はさらに進んで西欧起源の現代の自由を「われわれは何も恥じる必要はなく、そこから普遍的な価値を吸収して自分のものにすればよいのです」(p. 111)と主張します。ここに丸山のリベラリズムが表れているように私は感じました。李さんも基本的に同様の意見でした。

 

ただし、丸山が日本の価値観を語る際に、「日本で生まれたもので世界を驚かせるものは、美的価値です」と述べているように、この価値観こそあの戦争の正当化根拠になったことに丸山は自覚的だったのでしょうか。自覚的でないはずないと思いますが。

 

あと数点面白かったところをば。

丸山は対談の最後に、中国における文革批判の風潮に疑問を呈します。時期が時期だけに(六四の直前)結構大胆ですよね。それに対して、李さんは明らかに困惑というか誤魔化したような答えをしていました。。

 

また、後日談として近藤先生が述べるところに「一九九二年一月李沢厚氏は合法的に出国して」(p. 114)とあり、合法的という部分に複雑さな感情を抱いてしまいました。

これ以上はやめておきます。というか私がこれを書くのも時期が時期ですよね。実際、あちらのSNSをやっていても露骨な検閲を実感しています。これ以上は本当にいけない。まあ私が怖がる必要はないですが。

 

 

ごちそうさまでした。