夏草や兵どもが夢の跡

夢の跡を鳥辺野で供養しています。

日中両国の戦後を代表する知識人対談

近藤邦康「一九八九年三月二〇日 丸山眞男・李沢厚対談」(『東京女子大学比較文化研究所附置 丸山眞男記念比較思想研究センター報告』第十号、2015年)

 

19893201430分から18時まで、岩波書店旧館丸山研究室で、丸山眞男と李沢厚の間で行われた対談の記録です。

李さんは昨年亡くなったことでニュースになりましたね。(余英時さんとそう変わらない時期に亡くなりましたね…個人的に両者の関係が気になるところです。ご存じの方がいたら教えてください。)

それはともかく、美学論などで「文化熱」を牽引したトップランナーでしたね。

 

そんな日中両巨頭の対談ということで大変興味深く読みました。

驚いたこととしては、丸山は馮友蘭を原書の中国語で読んでいたのですね。旧制高校時代の教育が活きたのでしょう。

 

さて、私は「対談」を読みたかったのですが、丸山が喋りすぎです(笑)

ただ、やはりさすが丸山で、新中国がマルクス主義をその根幹に採用したことを評価するところは特に読みごたえがありました。要は「普遍的世界観」を通って、「特殊性を絶対化しないで、相対化すべき」だそうです。それによって「新しい文化を基礎づける」ことができます(p. 112)。これが自己相対化の要諦であり、丸山はさらに進んで西欧起源の現代の自由を「われわれは何も恥じる必要はなく、そこから普遍的な価値を吸収して自分のものにすればよいのです」(p. 111)と主張します。ここに丸山のリベラリズムが表れているように私は感じました。李さんも基本的に同様の意見でした。

 

ただし、丸山が日本の価値観を語る際に、「日本で生まれたもので世界を驚かせるものは、美的価値です」と述べているように、この価値観こそあの戦争の正当化根拠になったことに丸山は自覚的だったのでしょうか。自覚的でないはずないと思いますが。

 

あと数点面白かったところをば。

丸山は対談の最後に、中国における文革批判の風潮に疑問を呈します。時期が時期だけに(六四の直前)結構大胆ですよね。それに対して、李さんは明らかに困惑というか誤魔化したような答えをしていました。。

 

また、後日談として近藤先生が述べるところに「一九九二年一月李沢厚氏は合法的に出国して」(p. 114)とあり、合法的という部分に複雑さな感情を抱いてしまいました。

これ以上はやめておきます。というか私がこれを書くのも時期が時期ですよね。実際、あちらのSNSをやっていても露骨な検閲を実感しています。これ以上は本当にいけない。まあ私が怖がる必要はないですが。

 

 

ごちそうさまでした。